コロナはシェアハウスと相性がいい ~感染拡大より人間が怖いし人間に救われる話~

 

 はじめまして。

今、中野にある少人数のシェアハウス「中野小屋」に住んでいるたかせと申します。

 

内田勉さんの企画「#新型コロナ時代のシェアハウス」6月28日の担当として書かせていただきます。

 

 

目次

・テーマ:シェアハウスはコロナと相性がいい

・そもそも中野小屋について
・3月から6月の過ごし方 金銭面 / 物資面 / 精神面
・まとめ シェアハウスのセーフティネット性 ~人命至上主義とのはざまで

 

 

 

 

テーマ:シェアハウスはコロナと相性がいい

 

この数カ月過ごしてみて、シェアハウス(少なくとも中野小屋のような空間)はコロナ禍のような状況と相性がいいと感じています。

どういうこと? むしろ感染症対策の面でシェアハウスは脆弱なのでは? というのが通常の感想かと思います。

実際、GWにオンラインで行われた自由研究発表会ではシェアハウス運営に携わっている方がコロナ対策について発表していましたし、中野小屋でも「もし住人が感染したらどうするか」という話し合いを行いました。

多くの人が一緒に住んでいてかつ住人以外も沢山の人間が出入りする密閉空間は、普通に考えて保菌者とすれ違う可能性が高く、とてもクラスターの発生源になりそうです。

 

それでもこの数カ月暮らしてみて、シェアハウスは基本的にコロナ禍と相性が良いと感じています。精神面、金銭面、物資の調達などあらゆる面でこのような状況に強い、という実感があります。

 

以下、ちょっとその実感をできるだけ言語化していきたいと思います。

 

 

そもそも中野小屋について

 

中野小屋は、@tomo3141592653 の平田朋義さんが運営しているシェアハウスです。

居住可能人数は基本的に4人(4部屋なので)で築80年の古民家にそれぞれ個室を持って住んでいます。

 

ひとくちにシェアハウスといっても色々なタイプのシェアハウスがあるかと思いますが、中野小屋のような種類のシェアハウスには、おそらく日本の一般的な家には存在しない類の開放性があります。

まだあまりよく知らない人を家に上げるのは、通常すこし抵抗があります。

ひとり暮らしでは見知らぬ人と自宅の中で一対一になってしまうのが少し怖いですし、家族暮らしではほかの家族のプライバシーを侵害してしまう=ほかの家族に嫌がられる可能性があります。

もちろん、頻繁に来客のある一人暮らしや家族暮らしの部屋・家もあるでしょうが、現在の日本社会でそれは少数派だと思われます。

特に都心部は、セキュリティの重厚さを価値として謳うアパート物件などばかりです。

 

ところがシェアハウスでは気軽に人を呼ぶことができます。

まずほかにも人がいるという安心感があります。また普段から人が出入りする共用のリビングがあるという招きやすさ、知らない人がいても「誰かのお客さんなんだな」と特に気に留めない住人のあり方、そもそも普段から家族以外の人と生活しているという実感などが相まって、人を招く上での心的ハードルがとても低くなっています。

 

ところで、シェアハウスに人が入りびたる理由にも2パターンあります。つまり来客側の目的です。

まず友達として個人的に遊びに来たり、行われている映画会などのイベントに参加したりするために来る、などの楽しむ目的のものがひとつ。

そして、愚痴や悩みを吐きに来る、諸事情で泊るところがない、お金がないなどの理由で困った人たちへのセーフティネット的な働きをしているものがひとつ(ただし知り合いの知り合いまでに限る)。

もっと詳しく言うならばこの2つは相互に関連しているかもしれません。ひとむかし前のデカい相互扶助共同体、のようなイメージがあります。

 

はじめに中野小屋のようなシェアハウスといったのは、つまり非営利目的で個人が共同体の居場所として運営している種類のシェアハウスということです。

 

このような集団においてコロナ禍はどのように経験された(されている)のか。昨年から入居しているいち住人の視点として書いてみます。

 

*ちなみにほかの種類のシェアハウスとしては、もっと居住空間としての価値のみを追求した住むためだけのシェアハウスや、コンセプトを決めてそれに沿う人のみの入居を許可しているコンセプトハウス、営利目的のお洒落で家賃の高いシェアハウスなどがあるようです。

 

------------------------------------------------------------------------------------------------- 

 

 3月~6月の過ごしかた

 

 

以下、この数か月間の出来事を書いてみましょう。

 

まず日常生活について。

中野小屋は感染症に対しそれなりの対策をとって生活していました。

そのため、家主である平田さん、連帯保証人の林さん(仮)、わたしの3名は全員ほぼ電車に乗らず家で過ごすわけです。

 

飲食店が閉まり、食材買い出しのためスーパーに人が増え、ゴミ捨て場や電柱に謎の張り紙が貼られ、町全体に閉塞感と鬱々とした空気が漂っていた4月ごろ。

トイレットペーパーはどこ行っても売ってねーし(意味わからんな!)大学生の貴重な食糧である納豆も店頭から消えるし、バイトは全部潰れて9万の月収見込みは0になるし、授業はゼロになるし食べるお金はないしオンライン家庭教師の申し込みはいつまでたっても生徒がつかないし、正直一人暮らしだったら本当にきつかったと思います。

 

それが精神的にも金銭的にもどうにかなったのは、中野小屋に住んでいたからというのが本当に大きい。

 

 

金銭面

 

まずは何よりも金銭面ですが、これは家賃5万円のうち1万を買い出しの食費に充てる代わりに、自炊を行ってほかの人(主に家主さん)の夕食も賄うという形で助けていただきました。

家主さんは実はグルメなので(出勤しているときは毎日ロシア料理やらトルコ料理やらさまざまなランチを楽しんでいるらしい)、気づけば世界の料理を作り始めることに。

私自身も毎日もやし炒めやカレーでは飽きますし色々やってみるのが好きなので、次第にスパイスやらハーブやら、ココナツ缶やらラム塊肉やらと多国籍な食材や調味料がそろっていきます。

鍋とフライパンで作れる料理だけだと飽きてきたね、「世界の料理」の本にはオーブンを使う料理も多いね、と8000円くらいのオーブンが導入されます(安!)。

 

 

私と家主さんだけでなく林さんも料理を作るわけですが、これがまたとても上手で海鮮のアヒージョとかベーコンの燻製を作るわけです。オーブンが届いたときには全粒粉のパンを焼いていました。ヨーグルト製造機を使って低温熟成させたという牛肉の香草焼きは絶品です。

 

...................脱線してしまいました。

とにかく、金銭的にとても助けていただき(そもそも米が無料だし)月収9万円減で口座残高が限りなく0に近かった数週間もどうにか生きていけました。

 

 

物資面

 

次に、物資面について。

トイレットペーパーの爆買い及び転売に伴い、中野小屋でもこのままではトイレができなくなるという危機が。一時期はトイレに入るたびに風呂へ直行しようとかタオルで拭けばいいとか話していたものですが、家主さんの実家から50ロールくらいのトイレットペーパーが段ボール2箱分で届いたため、むしろ周りに配ることに。

マスクに関しては、わたしの実家が普段から会社の福利厚生でため込んでいたマスクと、コロナのニュースが出始めた超初期のころに100枚入りの箱を何箱も購入していてわたしに分けてくれたことから、それを玄関先に置くことで苦労せずにすみました。

液体ハンドソープは林さんが大袋を買っておいてくださり、そこから洗面所のボトルに継ぎ足していくことで不自由せずに手を洗うことができました。

アルコール除菌スプレーも、まだ店頭に並んでいるころに各自が買ってあったものを合わせて数本あり、困らず過ごすことができました。

 

住人それぞれが入手してきたものを共有しあうことでかなり助かっていたという実感があります。

 

 

精神面

 

最後に精神面について。

実は、これが私の一番懸念していたことでした。

 

家族住みでも社会人生活でもなんでもいいけれど、生活に遊びがないとだんだん精神が参ってきます。

主婦のうつ病が多いとかキッチンドランカー(キッチンでアルコールを飲んでいるうちにアルコール中毒になる行動パターンの名称)の問題などは、家事や育児に追い立てられ息抜きもできないまま、社会とも断絶されるから起きる問題だとも言われています。

独居老人や一人暮らしのリモートワーカーにとっても「生身の人間と全く接点がなくなる」というのは凄くストレスだと思いますが、多人数居住で閉鎖されたときというのはそのストレスが人に向かってしまう。

人に向けることが安易にできてしまいます。

 

自粛で一番怖いのはこれでした。

息抜きがなくなり、毎日のニュースにくさくさし、刺激と変化のない毎日のなかで複数人が狭い空間に閉じ込められたらどうなるか。

「全員、敵。」とかってキャッチコピーで映画化でもされそうな、密室サバイバルとか孤島サバイバルとかの設定とほぼ近しい状況です。違うのは、「誰かひとり殺さないと出られないよ!」などといった悪意のあるモノクマみたいな外部要因がないだけです。

不安定な社会情勢に有り余る暇、嫌でも顔を突き合せなきゃいけない密閉空間、息抜きのできない閉塞性。

殺し合い、傷つけあい、殴り合い、「ちくちく言葉」の応酬、虐待、DV、アルコール中毒、などなどが起こる要因たっぷりです。

 

日常、多くの人とかかわって色々な場所へアクティブに足を運んで生きている中野小屋の方たちは、それらをすべてやめ延々と家で過ごさなければならない状況下に耐えられるのだろうか、と正直思っていました。自分も含めて全く外出ができず、人と話せず、変化のない生活に耐えられるのだろうかと。

 

しかし、中野小屋の人たちは家暮らしに飽きたら自分で生活に楽しみを見つけだしてきました。全員が自分で自分の機嫌をとり、感情をコントロールする方法を知っていた。

 

家主さんは「3密を避ければええんやろ!」と自転車で川崎や東京まで行って誰もいない街を観光してきたりするし。

林さんは3000円くらいで本格的なカクテルセットを唐突に導入するし。

わたしはわたしで、以前学園祭のために購入したカクテル用のレモンジュースやグレナデンシロップが余っていたのでリビングに貢いだり、エンタメ的に色々な国の料理を作ったりしてどうにか生活に変化を生じさせるように工夫していました。

 

リビングにはプロジェクターとスクリーンが設置されているので毎晩映画を見られるし、またいろいろな人の持ち寄った本や漫画が平置きされていていつでも好きに読むことができる。漫画のweb限定無料公開もたいへん助かりました。

VRヘッドセットのオキュラス・クエストもあり、これは全身を使うので運動にもなりました。

おのおの家を快適に過ごすために自室を改造し、コーヒーメーカーを導入したり巨大薄型テレビを買って延々と火が燃える映像を流したり勝手にトルコランプを買ってきて玄関に吊るしたり、、、、、ということをしていました。

 

緊急事態宣言中に中野小屋に住んでいてよかった。

実家暮らしや一人暮らしで苦しくなっている友人、知人をtwitter上で多く見かけましたが、中野小屋では恐れていたような閉塞感も窮屈さも人間関係の恐怖もほとんど全く感じませんでした。

 

そう、強調したかったのは「自分で息抜きできる人がそろっていた」という話です。

 

 

もちろん、息抜きには金がかかっています。金がないとできないことでした。

わたしはお世話になっている方々がご厚意で投げてくださった様々な原稿バイトや給付金の臨時収入があったからこそ少し物を買うことができたのですし、家主さんと林さんは今回のコロナショックで失業しない職種の社会人でちゃんと稼いでいるからこそできた。

毎日もやし炒めではなく食事にこだわったり、レンジやらカクテルセットやら漫画全巻セットやらトルコランプやらコーヒーメーカーやら、少しでも生活を楽しくするグッズを買いそろえるには(安いものを選んでいても)それなりにお金がかかります。

 

だから、一概に個人の精神面の話だけに結論を帰すことはできないのですが、それでもとにかく「自分の機嫌を自分でとれること」には非常な価値を感じました。お金を使ったって自分で自分の機嫌をとれない人は沢山いるからね、、、

 

 

住居も家電も、食費、電気水道光熱費Wi-Fi、本、映画、漫画などの文化資本etc.をすべてシェアしているからこそ、個人当たりの出費は安いままこのレベルの生活を維持できている。

個々人で購入したレンジ、カクテルセット、調味料、BLEACH全巻セットなどはすべて共有物扱いをしている、もしくは使っていいよというスタンスで暮らしている、という文化・価値観があります。

これがシェアハウスの良さなのではないでしょうか。

来客を制限し、感染症対策に気をつけ、イベント空間ではなく住居として生活するぶんにはシェアハウスの感染確率は一般的な家族暮らしとほとんど変わらないと思います。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------

 

シェアハウスのセーフティネット

 

4月後半のある日、目を覚ましリビングに行くとベッドに女の子が落ちていた。

え? なんのラノベの序盤か? と思うのですが、本当です。

女の子はRちゃんという家主さんとわたし共通の友人で、トランクを持って家出してきた。

 

 

冒頭で、中野小屋に人が来る理由として「愚痴や悩みを吐きに来る、諸事情で泊るところがない、お金がないなどの理由で困った人たちへのセーフティネット的な働きをしているものがひとつ存在する(ただし知り合いの知り合いまでに限る)」と書きました。

 

中野小屋は2月いっぱいまで行っていた映画会のようなイベントをやめて来客もほぼなくなるように制限していましたが、こうしたセーフティネット的な面はかなり維持していたように思います。

 

 

Rちゃんについて続けて書きましょう。

 

Rちゃんは家出と言っても実家からの家出ではなく、一人暮らしのアパートからの家出でした。

彼女はそのとき都内主要駅の大手デパートの食料品売り場でレジ打ち業務をしていました。会社からは派遣で色々なデパートへ飛ばされるといいます。

 

今でこそ店の対策方針もほぼ定まり落ち着いてきましたが4月時点ではすべてが過渡期で、彼女は職場の強いストレスに晒されていたようです。

ひとり、またひとりと職場から人が減っていく。業務はまわらないし、自分だってやめたいのに職場に残れば残るほど責任が重くなっていく。マスクは会社からの支給ではなく買わされる。客層の多くを占める高齢の方々は、飛沫感染を防ぐレジのアクリル仕切りごしだと声を聞き取ってくれない。暴言を吐いてくる客もいるし、みんなデパートなんかじゃなく生鮮食品のスーパーで買い物すればいいじゃん、飲食店とか全部閉まっていっているのになんでわたしこんなところでずっと働いているの............

 

彼女はうつ病を患っているし、ついでに困っていたから助けてあげていた友達が勝手に家のロフトを占拠し散らかし大量のゴミが出ていて、すべて限界で片づける気力もなくて限界、という状況でした。

それでギリギリの精神状態のまま、中野小屋のリビングに飛び込んできた、という感じです。

 

わたしも躁うつ病の診断を受けているのでわかるんだけれど、うつ状態のときはほんとうに何もできない。

Rちゃんも家に来た時にはまともにご飯をたべたり入浴したりができず、声をかけてもひどく反応が鈍い、まったく頭が働いていないような状態でした。少し復活してもまたすぐこのような状態に陥る。

 

どっちにしろ毎日夕食を作っていたので、Rちゃんが泊まっていた期間は増量して3人で一緒に夕食をとっていました。風呂、食事、睡眠、大事。ちなみに、食費分のお金はちゃんと払ってくれました。

 

話を聞けば聞くほどあまりにも可哀想なので、みんなで家を片しに行った(徒歩で)。

ヤバかった。助けてあげていた「友達」とかいう子、ロフトでリストカットしてたのか血のようなものがついている謎のティッシュや、タバコの吸い殻、全く飲まれていない一か月分の向精神薬の袋数袋分、床にこぼれた謎の液体などでめちゃくちゃ部屋を散らかしていた。大丈夫か? ほんとうに友達か?

 

Rちゃんからすべて捨てていいよとの指示だったので、家主さんと二人ですべてポリ袋に突っ込んで何度もゴミ出しを往復して掃除した。Rちゃん、いま元気かな。

 

 

ほんとうは、ほんとうは、ほんとうに限界状態に達している人間は行政や専門医療機関が救うべきなのだと思います。しかしそれは現状全然満足には機能していないし、 機能していたとしてもある程度までは知人同士の相互扶助でなんとかするしかない側面がある。

 

 

ほかには、一人暮らしでの引きこもりリモートワーク生活があまりにも辛くて死にそうな人、ガスがでなくて毎日風呂を借りにくる美術家などが家に来ていました。

みな近所なので徒歩や自転車で来ることができ、人に会わない生活があまりにも限界に達した時は中野小屋を息抜きのように使っていました。

 

総じて、大人数が室内で一堂に会することがないようには気を付けていましたが、このように多少の出入りはありました。

完全に家にこもっていることが正義だと考えている人たちには批判されるかもしれません。

だが、こうした人の移動までをも完全に禁ずることは果たして正しいのでしょうか。

 

ちょっと話が飛びますが、わたしは「人命至上主義」が嫌いです。

まあ倫理や現代社会で習うレベルの話でSOLとQOLの対立そのものなのですが、たとえば子供を守るために一切のインターネット環境を与えず外出を制限するような極端なことが、命を人質に取られるとまかり通ることがあります。

また、アルコール中毒や初期認知症などでときおり行動に変調をきたすからといって、50過ぎの自立した大人を常に監視下におき、玄関に南京錠をかけて外出を完全に制限してしまうようなことも世の中にはあります。

 

世の中にはかなりこのようなことを「でもそれをしなかったら死んでしまうのだったら仕方がなくない?」「死んでしまったら取り返しがつかなくない?」と擁護する人間がいます。私から見ればこれは他者の人生に対する異常なレベルでの束縛なのだけれど、肩を持つ人がいる。

安全至上主義や人命至上主義が行き過ぎると地獄のように身動きの取れない世界になることがあります。

人間なんていずれ死ぬので、それを織り込み済みで生きるしかないと思うのだけれど。

 

 

人命がどうでもいいという気はないけれど、経済とか日常生活とか娯楽とか助け合いとかを完全に人命より下位におく考え方には納得できません。

 

もちろん感染者数などの状況に合わせて逐一行動を変えていくべきだとは思うけれど、コロナがあったとしても、基本的には中野小屋がこのような緩やかな紐帯としての役割を完全に手放すのは違うのではないかと思っています。

 

中野小屋のような空間に住んでいる身として、自粛ムードがはじまった当初は自分がどのように身を振るべきなのかかなり悩みましたが、いまはこのような見解です。

 

 

 

以上、#新型コロナ時代のシェアハウス 6月28日の企画記事でした!

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

───────────────────────

 

内田さんのブログリレー「 #新型コロナ時代のシェアハウス 」公開カレンダーはこちら↓

https://d-t-v.com/pages/blogrelay-covid19