8月22日/ソウル・ホノルル・SF・BM旅行
2023, 08, 22
ホテルのモーニングを食べる。甘いものが多くて友人はあまり食べない。アメリカだとオートミールは甘くして食べるのが普通みたい。
ドライブだ!水族館に連れて行ってくれる。色々なことを話す。好きな音楽とか映画とか。友人はruben ostlundという映画監督、The coupというラッパー兼映画監督が好きだと教えてもらう。
水族館まで、サンフランシスコからロサンゼルスまで続くという長すぎる道を走る。走り通すと車で8時間かかるらしい。
景色が壮大!スピルバーグの映画みたいな景色がずっと広がっていて興奮する。つまり、巨大な木や草や崖や岩場や海以外に何もない。電波も悪い、もしくは届かなくて、そこに文明(道)はあるのに少し迷い込んだら死にそうな感じの場所ということだ。
道の途中にはモバイルハウスもあって、Shrinking housingだ!と興奮する。Shrinking housingとは様々な理由で縮小していく世界の居住スタイルを指す。ハウジング(≒住宅)の社会学の分野でいま注目されている言葉だ。特に欧米では、中流階級でも裕福でない若者がマイホームを持てなくなっており、狭い住宅や賃貸住宅に住むようになっている。こうした30代かそれ以下の若者は、賃貸に住むしか選択肢のない世代といった意味合いで “Generation Rent” と呼ばれる。
前期のゼミはShrinking housingがテーマだった。文献によれば、モバイルハウスに住む人の殆どは「自由な暮らし」に価値を見出しており、一部の人々は「行政に頼らない暮らし」や「環境的でサステナブルな暮らし」を実践しようとしている。実際、モバイルハウスの広告表現を分析した結果、freedomなどの自由を表す言葉を使ってポジティブに宣伝されているという。
しかし、インタビュー調査の結果は、そうした様々な価値を見出してモバイルハウスに住んでいるほぼ全ての人が、同時に家選びにおける経済的な問題をも語ったという内容だった。つまり、事情をよく聞いてみれば経済的な事情から受動的にshrinkingなモバイルハウスに住んでいるように思えるにもかかわらず、住人たちは「自由な暮らし方」を能動的に選んだように語っていると言うのだ。
自分の置かれた状況をポジティブに価値づけて受け止めてハッピーに生きようとすることは全く否定しがたいし、私もよくやる。というかほぼそうやって生きてきてると言っても過言ではないと思う。ただ、モバイルハウスに関して言えば、問題は決して「自由」ではないという点だろう。trailer houseは動かすのが大変すぎて結局のところ移動の自由がないという。car houseも駐車可能なスペースがなくて移動を強いられるなど、決して自由な場所に住めるような形態ではないという。Mobileという名前に反して、多くのモバイルハウスには移動の自由がないと論文は述べていた。
今日trailer parkを訪れて、それが紙上の言論ではなくある程度の真実であることを確信した。ページの最後に添付する写真を見てほしいのだが、私の見たtrailer park の trailer達からは動かした形跡も動かすための意図も見つけられなかった。むしろ、柵で囲い込んだり花壇や庭を作ったりして、まるで普通の不動の住宅のように住んでいる。実際にtrailer houseはかなり大きくて、論文の通り動かすのには苦労を要することも想像された。ただ、shrinking housing とは言うものの、日本の狭い住宅に慣れ親しんでいる私からすればむしろ広くて住みやすそうだとまで感じるが。断熱性能以外は。
trailer Parkの近くにはtrailer car house(トレーラーハウスが車と一体化しているもの)もあった。移動しやすい代わりにtrailer house よりは狭い。こうしたtrailer car houseやcar houseは trailer Parkの近くだけでなく、道の途中でも沢山見かける。日本ではモバイルハウスはまだオルタナティブな暮らし方でしかないと思うが、カリフォルニアではこうしたモバイルハウスが本当に一般的な選択肢になっている(これは現地の友人お墨付きの認識なので、断定形で書いた)。
「モバイルハウスについてどう思う?」。折角なので、その友人に聞いてみる。「あれは貧困な人々が住む家だ」。友人は即答した。論文でわざわざ分析しなくても、感覚レベルではすでにモバイルハウスイコール自由ではなく貧困という認識があるんだな。
永遠にスピルバーグ世界観で一向に水族館へ着かない。朝出たのにもう13時過ぎだ。メキシコ文化の地域だからと本格的なメキシコ料理の店に連れていってくれる。Michelada という、ビール×マンゴージュース×チリペッパーを混ぜたハードな飲み物をいただく。これを更に、チェリーキャンディとチリペッパーでコーティングされた重いストローで飲む。アルコール入りだし味が強い。食事はBIRRIAというとても美味しくて量のある肉料理をいただく。
更に車で約1時間、やっと水族館に着いた!Monterey Bay Aquariumという。目の前までアシカが来てくれてくるくると水を旋回するのが可愛い。沢山のくらげが見られて満足する。くらげ大好き。Predatory tunicate(オオグチボヤ)という深海生物を初めて見る。インパクトのある姿をしていて、カンブリア紀やエディアカラ紀の植物っぽい海の動物に似ている。さらに発見されたばかりで学術名のない海の生物を紹介する区画もあって豪華だ。
残りはドライブで、17-mile driveという有料道路やMonastery Beachに行く。ずっと海岸が広がっていて綺麗だ。海は冷たくて泳げない。砂浜に子供が絵に描くような鳥の足跡があり嬉しい。論文で読んだもの、映画で観た景色、都市伝説的なうわさで聞いただけのもの・ひと・しごとなどが実在していたことを自分の目で見られるとかなり興奮する。車から夕陽を見る。
知らなかったのだが、夜の宿泊場所はtrailer car houseだった!trailer parkで見たものより少し小さく感じる。一部屋に機能が集約されたリビングキッチンと寝室の2部屋に加えて小さなシャワールームとトイレがあり、日本の1DKくらいだ。あらゆる壁面、余剰スペースが収納になっていて親しみを感じる。トイレはタンク式で紙を流してはいけず、ゴミ箱に捨てる。全然住めるが、人が歩くたびに震度2-3の地震が来たかと思うくらいに揺れるのが気になる。突然友人がにやにやし始めたので何かと尋ねると「trailer houseでパートナーがおならをしたらどうするか?というニュースを読んだのを思い出した」などと仰った。確かに重要な問題だ!
合法の薬をもらって試してみたけどあまり効かなかった。
8月20日II/ソウル・ホノルル・SF・BM旅行
ホノルル
到着!日付を遡っているので永遠に20日だ。日本時間でも20日は0時から動き続けていて長い一日なのに、やっと終えたと思ったらまだ20日の朝11時だなんて。SFでタイムループに嵌った人の気分だ。時よ進んで。
ここで明日の13時まで過ごすので、入国早々、給電スポットと椅子がセットになった仮眠場所を探す。成田や羽田、ジャカルタ、仁川、チャンギなどどこでもあったので、基本的に仮眠場所は空港の設備として常設されているのだろう。
一日以上の滞在となるためトランクをピックアップする。リュックと合わせて20キロ以上の大荷物だ。ホノルル空港は敷地の多くが野外で、道も悪い。ローラー付きトランクとはいえ、度々道の凹凸や傾斜にハンドルを取られ、加えて日光で体力を削がれる。これで広い場内を歩き回るのは骨が折れる。チェックインを試みるも、まだトランクを預かってもらうことも、ゲートの中へ入場させてもらうこともできない。
平田さんが「ホノルル国際空港で野宿する方法」というページを送ってくれる(https://www.stoicfps.com/32514/)。これを読むと給電場所や24時間営業の店舗、椅子、両替所、自販機などが一通り揃っていて居心地よく過ごせるという。ならばあるはず。私は20キロ近い荷物を引きずって場内をすべて歩き通す。
結論から言って、いま私がアクセスできるゲージ回復地点・アイテム入手地点は、給水所、飲みもの限定のスターバックス、以上。長旅で既にモバイルバッテリー3機中2機が残量なし、あとひとつも半分程度と言ったところ。飛行機のおかげでスマホ自体はフル充電だが、暑さとバッテリーの劣化で消耗が激しい。知らない土地で丸一日過ごすには心許ない状況だ。
宿泊すると2万以上と高いが、せめて市街へ出て充電量だけ回復するかと交通手段を調べる。支払いはすべてクレカとある。私のクレカはヨーロッパで全く使えない時が多かったため、利用後に料金を払えない場合が不安すぎて断念する。交通費も、空港と市街の往復で1万近く飛ぶので決して安くない。バーニングマンと旅費で財布も口座ももう砂漠くらい乾き切っている。
せめて現金があれば。両替か、クレカでキャッシングできれば。しかし、何度探しても、そしてやっと見つけた空港のWeb地図を見ても私の行ける範囲には一切何もない。ATMが一台あったがOUT OF ORDERで、両替所は長いこと臨時休業中だという。
そう、私の行ける範囲にはないというのがポイントだ。ホノルル空港の宿泊可能場所は、主にゲート内のみにある。ネットの情報は表記不足か、古いか、単に間違っている。ゲートの外には本当に、トイレ、水、スタバの3点しかない。
スマホの光量を最低まで落とし通知を消し、余計なサイトは一切見ず、連絡も基本返信をやめる。仕方ない。ここで生き抜く!
腹を決め、改めて居場所を探す。先程歩いたとき、ターミナル2の2階野外通路に横になって休んでいる人たちが数人いた。同じ状況ではないか。彼らの近くに居を構える。寝袋も敷いちゃう。荷物はすべて、防犯ワイヤーで建物の一部に括り付けてしまう。チャックもワイヤーを上手く通して開かないようにする。貴重品は羽織の下のポーチへ。
とにかく飲み物でもいいからカロリーを調達しようと改めてスタバに行くと、2店舗中の片方には実は食糧があったことが発覚した。これは強い!電源と食事という二大エネルギー源の不足のうち片方が解消され、一気に憂鬱が飛ぶ。大荷物、なれない土地、強い日光で消耗したエネルギーを丸一日回復できないのは正直厳しいと感じていた。
実は到着早々空港のWi-Fiがない問題にも直面していた。ただこれは、Web情報と足の探索で特定のエリアでしか繋がらないことが判明して解決をみる。地図も見つけられなかったが、ターミナル間の野外通路の柱に一枚だけひっそりと貼られており解決。Web地図にアクセスできるQRコードも掲示されていた。ここに着いてから、探せば探すほど必要なものがどこからか見つかり、本当に探索型ゲームをしているような気分だ………。
しばらく寝袋の上に寝転び、本を読んで過ごす。本ごしに青空が見え、風が吹く。気持ちいい。海も砂浜も何も見てないのでハワイにいる実感はないが、バカンス気分ではある。しかし、暑いは暑いため喉が渇く。給水とお手洗いへ。
あっ!トイレの床に妙なものがあり、駆け寄って確認する。誰かがスマホとバッテリーを充電して床に置いている!トイレに使える電源があったのか!もう今晩を越すのに怖いものは何もない!
21時を過ぎると誰が野宿者なのか確定してきて、皆ずっと同じ場所にいるのでもはや顔見知りめいてきた。1人で過ごしているフィリピンの方に声をかけられて雑談を交わしていると、変な人でないと認定されたのか大家族のビッグパパみたいな人にも話しかけられる。突然ペプシをくれる。有難く受け取る。
ビッグパパが今度は密閉袋を持ってくる。「自家製のウベだよ!食べてみて!」。ウベとは、紫芋だがタロイモではない、甘くてスイーツ向きのヤムイモの一種だ。ハワイのスイーツだよ、食べな!と差し出され、突き返すのもなんなのでとりあえず受け取ってみた。少し警戒するが、ビッグパパ・ファミリーも同じ袋から食べていたことを思い出し、OK判定を出す。美味しい。形も味もサーターアンダギーに似ている。そうする間もフィリピーナは私に怒涛の勢いで喋り続けている。
突如、巡回警備員がフィリピンの方に話しかけた。「ヘイ、それ美味しい?」。なんでも、警備員がフィリピーナにカップ麺を買ってきてあげたらしい。「デリシャスだったわ!シホミ、日清、日清!」。初めて見るが日清がハワイ用に(?)出している味とパッケージのカップ麺のようだ。
「君、お腹空いてない?」警備員が私にも聞いてくる。正直、スタバの小さいくせに一個千円近いパンにビビってケチってあまり食べていなかったので、ちょっと足りていないきらいはある。嘘がつけずまごついていると、OK!買ってくるよ!ちょっと待っててね!と言われる。そんなにわかりやすい?
警備員は水までセットで買ってきてくれた。フィリピンの方とも色々な話ができて、楽しい。写真撮ろ!と言われてツーショット。ビッグパパには家族写真の撮影を頼まれてパシャリ。
これで終われば良かったが、警備員に後から「僕のアパートで休んだほうが安全だよ!カモン!」と言われて笑った。警備員が率先して治安を乱さないでほしいのと、他の人にも買ってあげてたけどカップ麺は下心なのか?という2点で。
最後に、寝袋でもう休もうとするとフィリピーナがずかずかっと上がりこみ、ジーザス・クライストの話を30分ほど滔々とたれた。熱心なクリスチャンで、私を神の国に連れて行ってあげたいとスマホ版聖書を引き引き、説明してくれる。更に、私が死後地獄ではなく天国にいけるように、旅が安全で良いものになるようにと祈ってくれる。カトリック校でこうした説法は聞き慣れていたので懐かしい。私も彼女のために祈り返して、おやすみなさいをした。
今日も長く、混沌とした一日で楽しかった!
やっと8月20日が終わる。
8月20日I/ソウル・ホノルル・SF・BM旅行記
2023, 08, 20
深夜2時発の大韓航空で仁川へ。羽田から仁川経由でホノルルまでを大韓航空、ホノルルからサンフランシスコをハワイアン航空という旅順だ。
乗換の仁川では17時間、ホノルルでは26時間待つ。トランジットで現地を楽しむ派なので苦にならないが、飛行機の旅は短いほうがいい人にとっては辛いだろうな。
大韓航空のチェックインで10分程止められる。「ホノルルでの滞在先を書いていただかないと……」。違う会社の航空機で更にサンフランシスコまで行くのだと説明すると、「でもホノルルで一泊なさいますよね。その住所を」と言われる。空港泊と伝えると「そ、それは…お客様の自由ですが……でも一泊されるし…上に確認します!」と困らせてしまった。
5分ほど待つと戻ってきた。「大丈夫です。ではサンフランシスコの住所を」。しかし、私はネバダ州の砂漠に行くわけなのでその旨を伝える。イレギュラーだらけで申し訳ない。普通は到着した都市に宿泊するんですね……。「砂漠でキャンプするので主に泊まるのはネバダなんですが……」。再び上に確認。最早年配の方が直接いらしゃって、その後はスムーズに手続きが進んだ。
LCCでは長めのトランジットでも乗継ぎが多くても何か聞かれたことはない。工夫して安上がりに旅行してやろうという人は大手のクラシカルな航空会社は使わないのだろうし、航空会社も想定してないのだろうと実感した。飛行機のクラス以前に使う航空会社によって文化とか住む世界とか作法とかが全然違う、そういうのに近いものを感じてしまった。
機内でも、注文していなくても深夜2時半に豪華な食事が出る。免税品の販売も始まる。そもそも預入荷物が23kgまでOKだし、スタッフの方の応対も何から何まで丁寧すぎるくらい丁寧だ。LCCと違いすぎて面食らう。しかし、この深夜2時半の食事(ごはん、肉、パン、肉入りサラダ、フルーツ)は何ご飯なのだろうか。太る………。
ソウル市内
博士課程の留学生の方にお勧めを聞いて、まずホンデに向かう。「歩くべき通り」という名前の通りが見所らしく行くがあまり店が開いていない。ビビンバを食べる。ビビンバ自体は日本の韓国料理店と似た味だが、前菜の漬物の種類と味が全く違う。それぞれ酸味、辛味、旨味などが際立った味で美味しい。
戦争記念館に行く。電車で30分ほど。何箇所か検索してみて、ソウル市内なら基本的に30分以内で行けるように思える。戦争記念館は、警官の数、政治的主張の張り紙、巨大なオブジェ、彫像、レリーフと異質な雰囲気を放っていた。中入口の壁には金字で「護国殿堂」とあり、恐らく従軍中の若者たちが迷彩服に国旗を光らせて観覧している。小学生や中学生くらいの子供たちも、親や教師、何らかのプログラムの主導者のような人などに連れられて、韓国がいかにして戦争で主権と領土を守ってきたかという展示を見つめている。街中ではとても親切にされたが、この記念館に入ってからは受付、警備員、来場者の誰からも少し冷たいような対応を受ける。
展示内容は半分ほどが朝鮮半島内での戦争の歴史であるが(三国志好きは行くと良いかも)、3つある展示室の丸々ひとつが帝国主義との戦争について扱っていた。当然日本も出てくる。
戦争記念館自体は「軍事による主権の死守と愛国」といった色味がとても強く感じられる場所だったが、展示パネルは至って冷静に史実のみを記そうとしているように見受けられた。そうしたパネルのひとつに、淡々と「日本は韓国の書き言葉・話し言葉を根絶しようとし、歴史を改竄しようとした」とある。日本によるアジア諸国の占領と植民地化について、インフラを色々整えたのは日本だと恩の押し売りをしようとする人達がいるが、相手の言語・歴史・文化を破壊し、奪おうとしたことを無視してこのような主張をするのは自分勝手に過ぎる。韓国の他の史跡を観に行こうとしても、日本が壊したため完全な形ではないというものがいくらでもある。
疲労と暑さとお風呂に入れていないために足が重く、身体が気持ち悪くて動けなくなってきた。このままフライトに行くのは隣の人に申し訳ない。10kgの荷物が20kgくらいに感じられるなか、どうにかインサドン(仁寺洞)のチムジルバンまで辿り着く。韓国の伝統的なサウナ、入浴施設だ。修士同期のスヒャンさんが良い店を教えてくれた。
それなりに歳をめされたおばさまに全裸で全身をアカスリされるのは驚くほど気持ちいい。警戒していたキュウリパックも熱った皮膚をべちょべちょと冷やしてくれて新感覚だ。鉛のようだった疲れが全部飛び、走り出せそう。
本当に走り出すことになるとは。航空機のターミナルを間違えて10キロのリュックを背負って疾走する。油断した。サウナで寛ぎ過ぎた。ソウル駅での乗り換え、Google マップで徒歩1分と書いてあったのに10分以上かかったのもある。そういえば、他の駅でも妙に乗り換えの遠いことがあったな。大江戸線以上に上がったり下がったり他の路線のホームを抜けたりして、軽く一駅分はあるんじゃないか。日本と同じ気持ちでGoogleマップを信用してはいけないし、慣れない場所で油断してはいけない。
走る。走る。搭乗終了時刻5分前にターミナルに着く。ヤバすぎて逆に落ち着き、頭が冴える。本当に申し訳ないが、検査等の列をスキップさせていただく。搭乗終了時刻30秒前くらいにGATEに着く。「おめでとう、乗れるよ」。係の方が勢揃いして、其々シニカルに、あるいは心から微笑んだ。空港の方の計らいとチムジルバン・パワーで軽くなった足のお陰で仁川で彷徨わずに済んだ。今年一番焦った……。二度と油断しない。
大韓航空2回目。手荷物検査後に空のペットボトルに水を汲むというLCC仕草をしなくても(搭乗時刻目前でできなかったのだが)もう要らないくらい水分が出てくる。水もワインもコーヒーもジュースもおかわりし放題。食事も豪華で美味しい。毛布もある。席も柔らかくて身体が痛くならない。優雅だ……。成程、人はこうやって大金を出すのね。今後暫く絶対に乗らないだろうサービスレベルの機内なので存分に楽しむ。座席についたスクリーンにランドスケープ・カメラの映像を流し、雲を眺めながらマフィンとコーヒーを頂いちゃうぞ♡
充分眠れて頭が覚醒したので、院の受験生から来ていた質問への回答や溜まっていた諸々のタスクを片付ける。
東欧旅行記 2/19-21
2/19
巨大なクラクフ中央駅バスターミナルから、アウシュヴィッツ(OŚWIĘCIM)へ。1時間半。
クラクフは雨でもまだ暖かい方だったが、アウシュヴィッツは耐えられないくらい寒い。ホカロンもっと持ってくれば良かった。
思ってた以上に広い敷地に背の低い建物が延々と並んでいて、風が冷たい
ここから10行程度、アウシュヴィッツ博物館の内部についての記述と写真(本当に一部のみ)です。誰しもが実際に行けるわけではないと思うため本当に少しだけ掲載しますが、目に入れたくない方は以下のリンク「アウシュヴィッツに関する写真と文章をいま目に入れたくない方はここから↓」をクリックして、ページ下部まで飛んでください。
英語のガイドで周る。
ガス室で亡くなった方の髪、眼鏡、靴などをアウシュヴィッツの廃棄所から保存し積み上げた展示がある。
何十万人もが殺されていたまさにその場であるガス室に入る。巨大でビクともしない石の床。
ビルケナウへ
幅1.5mくらいのペラペラの板(一番下は石)に7-8人を詰めて、毛布1枚だけ渡して3段にして寝かせていたらしくて想像以上に極悪な環境
暖かくなってきたはずの2月後半でも、ヒートテックとコートを何十にも着込んでいても凄く寒いのに
ビルケナウの人達は薄い服2枚程度で石や板に寝かされて日中は労働していたという
クラクフへ戻る
帰路のバスチケットを予約していなかったけれど運転手から買えた
争奪戦で席から溢れた人は床に座っている
アウシュヴィッツに関する写真と文章をいま目に入れたくない方はここから↓
到着、皆は癒しをもとめて目星をつけていた猫カフェへ
私は頼まれものの画集を買いに、ベクシンスキー美術館へ
ベクシンスキー、今まで見た展示の中でもトップクラスに好きで部屋に掛けたいと思うくらい
ネットに出回っている絵は、細部が潰れて表示サイズも小さくて良さの4分の1も伝わっていない
リアルで見ると、殆どの絵が縦1メートル程もあり、細部の書き込みと色彩の細かさが異常な熱量で迫る
写真ではよく見えずプレーンな背景や塗りに見えてしまう部分も、ベクシンスキーは実は凄く書き込んでいて、目を凝らすほど背筋がぞっとする作品が何点もある
日本ではTwitterで3回見たら死ぬ絵の作家として消費され知られてしまっているけれど、何て勿体ないんだろう
自分の作品にタイトルをつけることを避けたらしく、写真・ドローイング含めて何千点もある作品に一切タイトルがないのもとても好き
猫カフェに合流。同じテーブル席の椅子の上で丸まって寝ている!可愛すぎる!何この癒し。世界中に猫を解き放て!本当に
触っても嫌がらない
え?なんでこんな撫でさせてくれるの?こんな近くにいて嫌がらないの?人間にこんな触らせていいの?
ちょっと!そんな撫でさせるなよ!!!くっ……………
ファンサしてくれるアイドルに何故かキレるキモオタクみたいな心境になり退散
夕食、中央駅近くのインドカレー屋がGoogle mapの評価4.9で行ってみたら本当にめちゃくちゃ美味しい
東京のちょっと美味しいカレー屋の比じゃない
ぜひ行くべき
夜、23時頃に突然ホテルに叫び声と暴れる音が響きつづけて、ついに強い勢いで何度も部屋のドアをノックされる。間を置いて15分程度も続く。
ゴンゴンゴンゴン!
ゴンゴンゴンゴン!
友人が見にいく
「外に上裸男性が5人くらい立ってる」と言う
友人が外に出て一度文句をいうがまだ何度もノックされる。友人から「上裸マッチョ男性が7-8人に増えてる!しかも動画を撮られてる!」と報告
遊びたい高校生の集団が色々な部屋をノックして周っていたようだ
上の階には女の子たちもいる
メンバーには東洋系の方もいて、他の部屋もノックしまわっていることを考えると、黄色人種をおちょくってやろうとかではなくておそらくあの〈高校生のノリ〉ってやつだなと思う
自分の寮生活を思い出して懐かしい
もっとも、私は殆ど部屋に篭っていたけど…………
2/20
クラクフから鉄道でチェコのプラハへ。寝台列車予約できなかったので、昼に6時間かけて移動。
19時からチェコ国民劇場でオペラ『ルサルカ』を観劇。綺麗な言い方をすれば、物語の内容はチェコ版人魚姫で、ドヴォルザークの9作目のオペラだ。
綺麗でない言い方をすれば、結婚式の日に突然結婚相手を追いだして参列客の王女に手を出すヤバ王子が、なぜか最後は”罪”とやらを償って死に、ロマンスの文脈では美しいんでしょうねというendを迎える話。
話の内容はともかく、劇場が本当に美しくて見惚れてしまう。金ピカなんて成金趣味だと思っていたが、おそらく宮廷文化を継いで贅沢に金色が使われた劇場空間はただただ煌びやかで美しくて驚く。
劇中では、大掛かりな設備ではないが水やスモークが使われて、英語の簡単な字幕もある。
チェコ国民劇場は観覧が安くて、舞台と柱が被ってしまう私達の席はなんとたったの1500円だった。もっと舞台に近く、2人や4人の個室席みたいな場所も5000円程度。こんな美しい場所で3時間半もプロのオペラを観られるのにこんな安くて良いの? 住んでいたら毎週通ってしまうかも。
ヒラウチちゃんが風邪気味で心配。
2/21
私も風邪気味で11時チェックアウトまで寝てしまう。元気組はカフカの通っていたカフェ・ルーブルへ。
合流、チェックアウト、ブレックファストでウ・フレクーへ。400年黒ビールのみでやってきた大衆食堂らしい。
黒ビールか、黒でないビールか、ワインしか選択肢がないので午前から黒ビール。あとポテトスープ。
一口…………
‼︎‼︎
泡一口でわかる異常なコク!
旨みが濃いにもかかわらずくどくなく、焦がしたような香ばしい香りがふわっと広がる。
日本で飲んだどの黒ビールよりも美味しい。60種類以上を飲み比べたビール会だって目じゃない。
スープを一口。
………………
美味い‼︎‼︎‼︎
こんなに黒ビールに合うように作ってはいけない
何の味だかわからないが脳に来る旨みと身体にしみる塩分・ミネラルのやさしさ
ゴロゴロと入った野菜、きのこ類、控えめに旨みを足す少量の肉
最高‼︎‼︎
洗濯物の回収とブルーノ行き鉄道の出発時間的に20分程度しかいられないのが惜しいが、長居したら酔い過ぎてしまうので丁度良い
スープとビールを交互に、あっという間に飲み干し退店!文脈が逸れますが窓が綺麗だった。
RJ鉄道でブルーノへ。
プラハまでの鉄道と違って鉄のマテリアルを感じさせる無骨な電車。でも周りの乗客も乗務員もとても優しい。
ブルーノ着。車窓から刺々しい雰囲気のグラフィティが見える。街並みは灰色、茶色がメインで、簡素な巨大建造物がぽつぽつと建つ様子にロシア共産主義を感じる。
プラハの街並みがいかに美しかったかがわかる。クラクフも古い建築が残って綺麗だったが、プラハは加えて美術的で文化的な感じというか……古さが醸し出す以上の雰囲気があった。
ブルーノはワルシャワに少し似ている。駅前で一瞬大麻の香りがする。
今晩は二手に分かれて宿へ。私と友人はなんと核シェルターに宿泊する!
核シェルター到着。空気が悪い。空調をかけていても消えない土と湿気の強烈な匂い。狭くて長い廊下。暖房がないため寒く、ベッドは固く、寝袋で寝る。
シャワールームは共用のトイレと同じ部屋にある。カーテン1枚で洗面所と仕切られている。鍵はない。裸を見られずにシャワーを浴びるすべがない。
良い経験だが2泊はしたくない環境。こんなところに何週間も何ヶ月も居たら確実に気が滅入る。なるほどこれが核シェルターか。
明日は地下迷宮などをまわる!楽しみ
※ヒラウチちゃんは相変わらず、というか昨日より?具合が悪そうで心配。調剤薬局に入ってみたら処方箋なしでも薬が買えたので解熱・鎮痛薬と喉の薬を、またチェコのよく効くのど飴というのをスーパーで買う。ハシュレルキーという。めちゃくちゃ効く!しかし、こんな寒くて空調悪い空間で病人が寝るものじゃない…………。
東欧旅行記 2/12-18
日程 : ドイツ(ベルリン)→ポーランド(ワルシャワ→クラクフ)/ ☜今ここまで/ →チェコ(プラハ→ブルーノ)→スロヴァキア→ハンガリー(ブダペスト)→オーストリア(ウィーン→ザルツブルク)→ドイツ(ミュンヘン)
✳︎飛行機のトランジットでシンガポールにも
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2/12
トランジットで屋台街に来て夕食
日曜でオフィス街の屋台は閉まってる、観光地近くの屋台街の方に来る
タピオカ揚げ美味しい
道教の寺院が多い????
罠!電車はPASMO的なカードに3$以上のチャージが無いと乗れない。駅で崩せる場所もないのでショッピングモールまで崩しに行って大変な思いをした。(徒歩5分もしない所なのに40分経っても戻らず「誘拐された!?事故にあった!?」となった)
チャンギ→ベルリン行きの飛行機。
みんなお行儀良く座っているのではなく、席を離れたまま何時間もどこかに行ってしまったり、長時間のフライトに飽きて非常口前のスペースでハグし合ってるカップルがいたり、通路で赤ちゃんを転がしてオムツ替えをしてる家族がいたり(大変だ)、賑やかで楽しい。
雲海がとても綺麗
窓についた雪の結晶がキラキラしている
雲海の上で何もかもが強すぎる朝日に照らされて真っ白に見える景色、とても好き
2/13
空港着、パンがとても美味しい。冷たいのに味が良い。ソースも美味しい。
自販機はタッチ決済かコインのみ。
空港のトイレにアダルトグッズの自販機がある。
タッチ決済が使えないの終わり。VISAが最強。
信号が赤に変わる瞬間、何の合図もなくてマジでわからん
Unter den Linden駅
ゲシュタポ本部があった場所の博物館
Topographie des Terrors
トイレめっちゃ良い香りと思ったけどどこのトイレも同じ良い香りがする。多分ドイツのメジャーな芳香剤。住んでたら「良い香り」ではなく「トイへの匂い」と思うようになるのだろう
そういえばドイツは電車に改札ない
空港はともかく、市内は店でも電車でも博物館でも誰もマスクしてない
アジア食品店、東アジア中央アジア西アジア全部盛りで、日本中国ベトナムインドネシア同じアジア括りなのめちゃ面白い
右手にビール、左手にチーズでストレッチするの気持ち良い
ポーランド日程を調べた。廃鉄道駅で開かれるネオンとDJと酒のナイト・マーケットというノクニー・マーケット、とても行きたかったがFacebookも Instagramも2022年9月で止まってる。中止してそうで残念。
https://instagram.com/nocnymarket?igshid=YmMyMTA2M2Y=
2/14
起床、朝食、近くのモール見る、靴買う
移動、古着屋、革コート買う
謎の文化施設、カリーヴルスト@高架下
古本屋①、古本屋②(めちゃ良い)なんとかFOX
町の治安悪い めちゃ良い 大麻の匂いしまくり
一回ホテルへ、急ぎで中世レストランへ
酒と食事の量がすごい
飲み過ぎ食べ過ぎで眠くなるから踊るらしく、それをナイフで煽るのも面白い
中世の酒場では、乾杯役の人は10分に1回は乾杯を煽らなければいけない
毒味役もいて、毒味係に食べさせて10秒数えて苦しまなければ皆で食べる
最後は水牛の角に蜂蜜ワインを並々注いで男達が整列し、剣で脅されながら一気飲みをして会が閉まった
2/15
少し早起きしてトランクケースを買いに行く
ホテルから12分、カイザー・ヴィルヘルム記念教会の近く
電車は思ってたよりは時間通りに来る
広場の可愛いワニの彫像の後ろに漢字で「春」って落書きしてある、ドイツが寒すぎて春が恋しくなったか。
町には花屋が多くて、割とどの飲食店に入っても生花置いてる。良い
カードはタッチ決済対応のを絶対作る!!!
今日はだらだら。
昼からチーズとビールをやってふらふら。
バウムクーヘン発祥の地とやらに行き甘味三昧。
ドイツのシーシャに行こうと話してたが、時間的・つかれ具合的に諦め。
マーケットで3種類のブルスト・サラミを、スーパーでパンや水を、100円ショップで缶切り等を買う。
ホテル近くのレコード屋がとても素敵で、ひとりで別行動して思わず長居する。
ホステル帰ってブルストを調理、共用の食堂でいただいて寝る。
2/16
朝4時起きでベルリン中央駅からポーランドへ。
ワルシャワまで6時間。駅で朝ごはんを買う
ひとつのホームに縦に繋がって何個も電車が来る
コンパートメント(個室)6席の予約
なぜか暖房が機能しない
途中で暖房つく
コンセント使えない
高速鉄道の食堂車でごはん頼む
え!?ごはん美味い!!!!!!
ビールも卵もスープも美味い
ただの炒り卵も卵黄の旨みの濃い味がする
車窓に広がる永遠の畑、このためにある
ドイツもポーランドもちょっとトイレ流れにくい
てか流したあと確認する意識があまりない?
昨日今日だけで3回も流れてなくて今日の高速鉄道では大きなほうがそのままドンと鎮座してた
パンティ アンティファ と市街の壁に落書き
30年前まで共産圏だった国に書いてあると趣深くてにこにこ
レントアパートメント入るの大変すぎ、セキュリティが妙に頑丈
「ホームレスの方が入ってきてしまう」という理由らしい。確かに他のアパートも頑丈なセキュリティに見える
これだけ寒ければ入りたくもなる
ワルシャワ蜂起博物館
飢えと暴力で人が見たことのない状態になっている写真を、映像の世紀で見るのとは比べものにならないくらい見る
さすがにかなりの衝撃がある
特にゲットーの写真を見られてよかった
日本にいるとナチスによる直接の暴力的な写真(銃殺とか)を見る機会が多い気がするんだけど、正直それよりユダヤ・ゲットーの様子が酷すぎてう、となった
戦争以外の形で階級がめちゃくちゃになる(リセットに近い状態をおこす)にはどうしたら良いのだろうと考える
中心部、ミリタリー博物館多くて、ワルシャワ蜂起博物館の内容も軍事的なものも多くて、ポーランドは軍事の国なんだなと思う
2/17
ザモシチ(城塞都市)に行く予定だったけど、ウクライナ国境から近くてmilitary状況がどうしても怖いという友人がおりワルシャワに留まる。
みんなかなりお疲れ気味で休憩日にする。
相談してからと思っていたものや、日程変更もあり取れていなかったチケットなどを取る。
ベルリンと違ってワルシャワ中央駅のチケットセンターは一切英語通じない。
高速鉄道の座席はかなり埋まりやすいらしく、数日前の時点で予約不可。ほとんど席が残っていない。
海外旅行、かなり適当でもどうにかなること多いけど、ポーランドの高速鉄道は1週間くらい前までにネットでチケット取っておかないと本当に席がない。
チケットサイトも罠で、駅で聞いたら満席なのに、チケットサイトにはいつまでもチケット有りと表示されてる。
特に予約代理サイトは困る。kiwiというサイトではチケットを申し込んで支払いを終えたのに、「予約中に満席になったから失敗だよ♡」と後からメールが来た。でもその後もずっとチケット有りと表示されており、たぶん最初から満席だったのだと思う。
National Museum of Ethnographyに来る。フェミニズム系の特別展がやってる。ポーランドの女性の教授や民俗学者の業績を展示してる。
常設展。ポーランド各地の服飾文化やユダヤの装飾品。MasqueradeやST JOHN’S EVEの仮面・衣装がめちゃいい。面は日本や韓国、インドネシアみたいな堅い面ではなく毛皮やフェルトで作られてるものが多く面白い。羊や水牛のツノもよく使われてて、多少セカオワのPVっぽい(こちらの文化が発祥だろうけど)。
服は地域によってかなり違う。私はクラクフなど南部の数地域の服と、クルピなどかなりロシア文化入ってる感じの服が好きだった。でも全部可愛い!!!
外はすごい風雨だけど本当に誰も傘をささない。
強い風雨といっても日本と違って、広い空を霧と雪のあいだみたいな雨が横なぎに舞っている。暗い空に薄い模様が蠢いてるような感じ。巨大な生き物みたいに見える
2/18
なぜか毎日朝7時半頃には目が覚める。日本にいるより快眠快起床で元気。旅行ブースト?
ワルシャワの街は石とレンガ製で道幅が広いので風の音がゴウゴウ響いて悪魔の声みたい
鉄道でクラクフへ。
ワルシャワと雰囲気が違いすぎる!明らかに栄えていて、装飾の多い西洋風の華美な建物と、たくさんの観光客や若者、教会、商店がある。都市だ!嬉しい!!!
ワルシャワと違って解放的な雰囲気
宿が最高
かなり古い建物の2階、使い込まれた雰囲気の調度品、崩れかけた壁が美しいテラス、陶器製のレリーフ入の背の高いストーブ
大衆食堂、スープとサラダのセットだけでパスタまで取れる
ワルシャワより味付けが薄い(ものも多い)、美味しい
博物館、美術館、岩塩坑、ゲットー、アウシュヴィッツ、bar、ごはんを周って残りは散歩と思っていたが、聖マリア聖堂にふらっと入って立ち尽くす
教会ってこんな綺麗で美しいことあり得るんだ
23年間カトリック系列の学校にいるが今日初めてキリストの磔になった十字架が荘厳に見えた
こんな美しい空間に長くいられるなら信仰もするわと思う
観光客なのでほんの1分程度しかよく見られない
キリスト教、カトリック、信仰、宗教そのものなど諸々への認識が何かうまく説明できないけど凄く変わる
偶々聖マリア聖堂に入って本当に良かったと思う
クラフトビールbar、ほぼ全てのビールが飲んだことないくらい癖が強い。酸っぱいビールが多い
慣れると美味しい。ピザとか油物・味の濃いものと合わせて飲むのが良い
信頼してる友人の友人だから絶対素敵な人だ!みたいな信頼感だけで突っ走って、実はお互いあまりよく知らない同士もいる状態で旅行に来ていた
もう7日目、移動ばかりで流石に話せていなさすぎていて4時間近く話し込む
大好きになる
コロナはシェアハウスと相性がいい ~感染拡大より人間が怖いし人間に救われる話~
はじめまして。
今、中野にある少人数のシェアハウス「中野小屋」に住んでいるたかせと申します。
内田勉さんの企画「#新型コロナ時代のシェアハウス」6月28日の担当として書かせていただきます。
目次
・テーマ:シェアハウスはコロナと相性がいい
・そもそも中野小屋について
・3月から6月の過ごし方 金銭面 / 物資面 / 精神面
・まとめ シェアハウスのセーフティネット性 ~人命至上主義とのはざまで
テーマ:シェアハウスはコロナと相性がいい
この数カ月過ごしてみて、シェアハウス(少なくとも中野小屋のような空間)はコロナ禍のような状況と相性がいいと感じています。
どういうこと? むしろ感染症対策の面でシェアハウスは脆弱なのでは? というのが通常の感想かと思います。
実際、GWにオンラインで行われた自由研究発表会ではシェアハウス運営に携わっている方がコロナ対策について発表していましたし、中野小屋でも「もし住人が感染したらどうするか」という話し合いを行いました。
多くの人が一緒に住んでいてかつ住人以外も沢山の人間が出入りする密閉空間は、普通に考えて保菌者とすれ違う可能性が高く、とてもクラスターの発生源になりそうです。
それでもこの数カ月暮らしてみて、シェアハウスは基本的にコロナ禍と相性が良いと感じています。精神面、金銭面、物資の調達などあらゆる面でこのような状況に強い、という実感があります。
以下、ちょっとその実感をできるだけ言語化していきたいと思います。
そもそも中野小屋について
中野小屋は、@tomo3141592653 の平田朋義さんが運営しているシェアハウスです。
居住可能人数は基本的に4人(4部屋なので)で築80年の古民家にそれぞれ個室を持って住んでいます。
ひとくちにシェアハウスといっても色々なタイプのシェアハウスがあるかと思いますが、中野小屋のような種類のシェアハウスには、おそらく日本の一般的な家には存在しない類の開放性があります。
まだあまりよく知らない人を家に上げるのは、通常すこし抵抗があります。
ひとり暮らしでは見知らぬ人と自宅の中で一対一になってしまうのが少し怖いですし、家族暮らしではほかの家族のプライバシーを侵害してしまう=ほかの家族に嫌がられる可能性があります。
もちろん、頻繁に来客のある一人暮らしや家族暮らしの部屋・家もあるでしょうが、現在の日本社会でそれは少数派だと思われます。
特に都心部は、セキュリティの重厚さを価値として謳うアパート物件などばかりです。
ところがシェアハウスでは気軽に人を呼ぶことができます。
まずほかにも人がいるという安心感があります。また普段から人が出入りする共用のリビングがあるという招きやすさ、知らない人がいても「誰かのお客さんなんだな」と特に気に留めない住人のあり方、そもそも普段から家族以外の人と生活しているという実感などが相まって、人を招く上での心的ハードルがとても低くなっています。
ところで、シェアハウスに人が入りびたる理由にも2パターンあります。つまり来客側の目的です。
まず友達として個人的に遊びに来たり、行われている映画会などのイベントに参加したりするために来る、などの楽しむ目的のものがひとつ。
そして、愚痴や悩みを吐きに来る、諸事情で泊るところがない、お金がないなどの理由で困った人たちへのセーフティネット的な働きをしているものがひとつ(ただし知り合いの知り合いまでに限る)。
もっと詳しく言うならばこの2つは相互に関連しているかもしれません。ひとむかし前のデカい相互扶助共同体、のようなイメージがあります。
はじめに中野小屋のようなシェアハウスといったのは、つまり非営利目的で個人が共同体の居場所として運営している種類のシェアハウスということです。
このような集団においてコロナ禍はどのように経験された(されている)のか。昨年から入居しているいち住人の視点として書いてみます。
*ちなみにほかの種類のシェアハウスとしては、もっと居住空間としての価値のみを追求した住むためだけのシェアハウスや、コンセプトを決めてそれに沿う人のみの入居を許可しているコンセプトハウス、営利目的のお洒落で家賃の高いシェアハウスなどがあるようです。
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3月~6月の過ごしかた
以下、この数か月間の出来事を書いてみましょう。
まず日常生活について。
中野小屋は感染症に対しそれなりの対策をとって生活していました。
そのため、家主である平田さん、連帯保証人の林さん(仮)、わたしの3名は全員ほぼ電車に乗らず家で過ごすわけです。
飲食店が閉まり、食材買い出しのためスーパーに人が増え、ゴミ捨て場や電柱に謎の張り紙が貼られ、町全体に閉塞感と鬱々とした空気が漂っていた4月ごろ。
トイレットペーパーはどこ行っても売ってねーし(意味わからんな!)大学生の貴重な食糧である納豆も店頭から消えるし、バイトは全部潰れて9万の月収見込みは0になるし、授業はゼロになるし食べるお金はないしオンライン家庭教師の申し込みはいつまでたっても生徒がつかないし、正直一人暮らしだったら本当にきつかったと思います。
それが精神的にも金銭的にもどうにかなったのは、中野小屋に住んでいたからというのが本当に大きい。
金銭面
まずは何よりも金銭面ですが、これは家賃5万円のうち1万を買い出しの食費に充てる代わりに、自炊を行ってほかの人(主に家主さん)の夕食も賄うという形で助けていただきました。
家主さんは実はグルメなので(出勤しているときは毎日ロシア料理やらトルコ料理やらさまざまなランチを楽しんでいるらしい)、気づけば世界の料理を作り始めることに。
私自身も毎日もやし炒めやカレーでは飽きますし色々やってみるのが好きなので、次第にスパイスやらハーブやら、ココナツ缶やらラム塊肉やらと多国籍な食材や調味料がそろっていきます。
鍋とフライパンで作れる料理だけだと飽きてきたね、「世界の料理」の本にはオーブンを使う料理も多いね、と8000円くらいのオーブンが導入されます(安!)。
私と家主さんだけでなく林さんも料理を作るわけですが、これがまたとても上手で海鮮のアヒージョとかベーコンの燻製を作るわけです。オーブンが届いたときには全粒粉のパンを焼いていました。ヨーグルト製造機を使って低温熟成させたという牛肉の香草焼きは絶品です。
...................脱線してしまいました。
とにかく、金銭的にとても助けていただき(そもそも米が無料だし)月収9万円減で口座残高が限りなく0に近かった数週間もどうにか生きていけました。
物資面
次に、物資面について。
トイレットペーパーの爆買い及び転売に伴い、中野小屋でもこのままではトイレができなくなるという危機が。一時期はトイレに入るたびに風呂へ直行しようとかタオルで拭けばいいとか話していたものですが、家主さんの実家から50ロールくらいのトイレットペーパーが段ボール2箱分で届いたため、むしろ周りに配ることに。
マスクに関しては、わたしの実家が普段から会社の福利厚生でため込んでいたマスクと、コロナのニュースが出始めた超初期のころに100枚入りの箱を何箱も購入していてわたしに分けてくれたことから、それを玄関先に置くことで苦労せずにすみました。
液体ハンドソープは林さんが大袋を買っておいてくださり、そこから洗面所のボトルに継ぎ足していくことで不自由せずに手を洗うことができました。
アルコール除菌スプレーも、まだ店頭に並んでいるころに各自が買ってあったものを合わせて数本あり、困らず過ごすことができました。
住人それぞれが入手してきたものを共有しあうことでかなり助かっていたという実感があります。
精神面
最後に精神面について。
実は、これが私の一番懸念していたことでした。
家族住みでも社会人生活でもなんでもいいけれど、生活に遊びがないとだんだん精神が参ってきます。
主婦のうつ病が多いとかキッチンドランカー(キッチンでアルコールを飲んでいるうちにアルコール中毒になる行動パターンの名称)の問題などは、家事や育児に追い立てられ息抜きもできないまま、社会とも断絶されるから起きる問題だとも言われています。
独居老人や一人暮らしのリモートワーカーにとっても「生身の人間と全く接点がなくなる」というのは凄くストレスだと思いますが、多人数居住で閉鎖されたときというのはそのストレスが人に向かってしまう。
人に向けることが安易にできてしまいます。
自粛で一番怖いのはこれでした。
息抜きがなくなり、毎日のニュースにくさくさし、刺激と変化のない毎日のなかで複数人が狭い空間に閉じ込められたらどうなるか。
「全員、敵。」とかってキャッチコピーで映画化でもされそうな、密室サバイバルとか孤島サバイバルとかの設定とほぼ近しい状況です。違うのは、「誰かひとり殺さないと出られないよ!」などといった悪意のあるモノクマみたいな外部要因がないだけです。
不安定な社会情勢に有り余る暇、嫌でも顔を突き合せなきゃいけない密閉空間、息抜きのできない閉塞性。
殺し合い、傷つけあい、殴り合い、「ちくちく言葉」の応酬、虐待、DV、アルコール中毒、などなどが起こる要因たっぷりです。
日常、多くの人とかかわって色々な場所へアクティブに足を運んで生きている中野小屋の方たちは、それらをすべてやめ延々と家で過ごさなければならない状況下に耐えられるのだろうか、と正直思っていました。自分も含めて全く外出ができず、人と話せず、変化のない生活に耐えられるのだろうかと。
しかし、中野小屋の人たちは家暮らしに飽きたら自分で生活に楽しみを見つけだしてきました。全員が自分で自分の機嫌をとり、感情をコントロールする方法を知っていた。
家主さんは「3密を避ければええんやろ!」と自転車で川崎や東京まで行って誰もいない街を観光してきたりするし。
林さんは3000円くらいで本格的なカクテルセットを唐突に導入するし。
わたしはわたしで、以前学園祭のために購入したカクテル用のレモンジュースやグレナデンシロップが余っていたのでリビングに貢いだり、エンタメ的に色々な国の料理を作ったりしてどうにか生活に変化を生じさせるように工夫していました。
リビングにはプロジェクターとスクリーンが設置されているので毎晩映画を見られるし、またいろいろな人の持ち寄った本や漫画が平置きされていていつでも好きに読むことができる。漫画のweb限定無料公開もたいへん助かりました。
VRヘッドセットのオキュラス・クエストもあり、これは全身を使うので運動にもなりました。
おのおの家を快適に過ごすために自室を改造し、コーヒーメーカーを導入したり巨大薄型テレビを買って延々と火が燃える映像を流したり勝手にトルコランプを買ってきて玄関に吊るしたり、、、、、ということをしていました。
緊急事態宣言中に中野小屋に住んでいてよかった。
実家暮らしや一人暮らしで苦しくなっている友人、知人をtwitter上で多く見かけましたが、中野小屋では恐れていたような閉塞感も窮屈さも人間関係の恐怖もほとんど全く感じませんでした。
そう、強調したかったのは「自分で息抜きできる人がそろっていた」という話です。
もちろん、息抜きには金がかかっています。金がないとできないことでした。
わたしはお世話になっている方々がご厚意で投げてくださった様々な原稿バイトや給付金の臨時収入があったからこそ少し物を買うことができたのですし、家主さんと林さんは今回のコロナショックで失業しない職種の社会人でちゃんと稼いでいるからこそできた。
毎日もやし炒めではなく食事にこだわったり、レンジやらカクテルセットやら漫画全巻セットやらトルコランプやらコーヒーメーカーやら、少しでも生活を楽しくするグッズを買いそろえるには(安いものを選んでいても)それなりにお金がかかります。
だから、一概に個人の精神面の話だけに結論を帰すことはできないのですが、それでもとにかく「自分の機嫌を自分でとれること」には非常な価値を感じました。お金を使ったって自分で自分の機嫌をとれない人は沢山いるからね、、、
住居も家電も、食費、電気水道光熱費Wi-Fi、本、映画、漫画などの文化資本etc.をすべてシェアしているからこそ、個人当たりの出費は安いままこのレベルの生活を維持できている。
個々人で購入したレンジ、カクテルセット、調味料、BLEACH全巻セットなどはすべて共有物扱いをしている、もしくは使っていいよというスタンスで暮らしている、という文化・価値観があります。
これがシェアハウスの良さなのではないでしょうか。
来客を制限し、感染症対策に気をつけ、イベント空間ではなく住居として生活するぶんにはシェアハウスの感染確率は一般的な家族暮らしとほとんど変わらないと思います。
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シェアハウスのセーフティネット性
4月後半のある日、目を覚ましリビングに行くとベッドに女の子が落ちていた。
え? なんのラノベの序盤か? と思うのですが、本当です。
女の子はRちゃんという家主さんとわたし共通の友人で、トランクを持って家出してきた。
冒頭で、中野小屋に人が来る理由として「愚痴や悩みを吐きに来る、諸事情で泊るところがない、お金がないなどの理由で困った人たちへのセーフティネット的な働きをしているものがひとつ存在する(ただし知り合いの知り合いまでに限る)」と書きました。
中野小屋は2月いっぱいまで行っていた映画会のようなイベントをやめて来客もほぼなくなるように制限していましたが、こうしたセーフティネット的な面はかなり維持していたように思います。
Rちゃんについて続けて書きましょう。
Rちゃんは家出と言っても実家からの家出ではなく、一人暮らしのアパートからの家出でした。
彼女はそのとき都内主要駅の大手デパートの食料品売り場でレジ打ち業務をしていました。会社からは派遣で色々なデパートへ飛ばされるといいます。
今でこそ店の対策方針もほぼ定まり落ち着いてきましたが4月時点ではすべてが過渡期で、彼女は職場の強いストレスに晒されていたようです。
ひとり、またひとりと職場から人が減っていく。業務はまわらないし、自分だってやめたいのに職場に残れば残るほど責任が重くなっていく。マスクは会社からの支給ではなく買わされる。客層の多くを占める高齢の方々は、飛沫感染を防ぐレジのアクリル仕切りごしだと声を聞き取ってくれない。暴言を吐いてくる客もいるし、みんなデパートなんかじゃなく生鮮食品のスーパーで買い物すればいいじゃん、飲食店とか全部閉まっていっているのになんでわたしこんなところでずっと働いているの............
彼女はうつ病を患っているし、ついでに困っていたから助けてあげていた友達が勝手に家のロフトを占拠し散らかし大量のゴミが出ていて、すべて限界で片づける気力もなくて限界、という状況でした。
それでギリギリの精神状態のまま、中野小屋のリビングに飛び込んできた、という感じです。
わたしも躁うつ病の診断を受けているのでわかるんだけれど、うつ状態のときはほんとうに何もできない。
Rちゃんも家に来た時にはまともにご飯をたべたり入浴したりができず、声をかけてもひどく反応が鈍い、まったく頭が働いていないような状態でした。少し復活してもまたすぐこのような状態に陥る。
どっちにしろ毎日夕食を作っていたので、Rちゃんが泊まっていた期間は増量して3人で一緒に夕食をとっていました。風呂、食事、睡眠、大事。ちなみに、食費分のお金はちゃんと払ってくれました。
話を聞けば聞くほどあまりにも可哀想なので、みんなで家を片しに行った(徒歩で)。
ヤバかった。助けてあげていた「友達」とかいう子、ロフトでリストカットしてたのか血のようなものがついている謎のティッシュや、タバコの吸い殻、全く飲まれていない一か月分の向精神薬の袋数袋分、床にこぼれた謎の液体などでめちゃくちゃ部屋を散らかしていた。大丈夫か? ほんとうに友達か?
Rちゃんからすべて捨てていいよとの指示だったので、家主さんと二人ですべてポリ袋に突っ込んで何度もゴミ出しを往復して掃除した。Rちゃん、いま元気かな。
ほんとうは、ほんとうは、ほんとうに限界状態に達している人間は行政や専門医療機関が救うべきなのだと思います。しかしそれは現状全然満足には機能していないし、 機能していたとしてもある程度までは知人同士の相互扶助でなんとかするしかない側面がある。
ほかには、一人暮らしでの引きこもりリモートワーク生活があまりにも辛くて死にそうな人、ガスがでなくて毎日風呂を借りにくる美術家などが家に来ていました。
みな近所なので徒歩や自転車で来ることができ、人に会わない生活があまりにも限界に達した時は中野小屋を息抜きのように使っていました。
総じて、大人数が室内で一堂に会することがないようには気を付けていましたが、このように多少の出入りはありました。
完全に家にこもっていることが正義だと考えている人たちには批判されるかもしれません。
だが、こうした人の移動までをも完全に禁ずることは果たして正しいのでしょうか。
ちょっと話が飛びますが、わたしは「人命至上主義」が嫌いです。
まあ倫理や現代社会で習うレベルの話でSOLとQOLの対立そのものなのですが、たとえば子供を守るために一切のインターネット環境を与えず外出を制限するような極端なことが、命を人質に取られるとまかり通ることがあります。
また、アルコール中毒や初期認知症などでときおり行動に変調をきたすからといって、50過ぎの自立した大人を常に監視下におき、玄関に南京錠をかけて外出を完全に制限してしまうようなことも世の中にはあります。
世の中にはかなりこのようなことを「でもそれをしなかったら死んでしまうのだったら仕方がなくない?」「死んでしまったら取り返しがつかなくない?」と擁護する人間がいます。私から見ればこれは他者の人生に対する異常なレベルでの束縛なのだけれど、肩を持つ人がいる。
安全至上主義や人命至上主義が行き過ぎると地獄のように身動きの取れない世界になることがあります。
人間なんていずれ死ぬので、それを織り込み済みで生きるしかないと思うのだけれど。
人命がどうでもいいという気はないけれど、経済とか日常生活とか娯楽とか助け合いとかを完全に人命より下位におく考え方には納得できません。
もちろん感染者数などの状況に合わせて逐一行動を変えていくべきだとは思うけれど、コロナがあったとしても、基本的には中野小屋がこのような緩やかな紐帯としての役割を完全に手放すのは違うのではないかと思っています。
中野小屋のような空間に住んでいる身として、自粛ムードがはじまった当初は自分がどのように身を振るべきなのかかなり悩みましたが、いまはこのような見解です。
以上、#新型コロナ時代のシェアハウス 6月28日の企画記事でした!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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